校長あいさつ

校長 鈴木 敏彦

校長 鈴木 敏彦

同窓会の皆様におかれましては、日ごろから浜松北高の教育活動に対しまして多大なる御理解と御協力を賜り、誠にありがとうございます。厚く御礼申し上げます。私は令和5年4月、伝統ある浜松北高等学校長に着任いたしました鈴木と申します。永い歴史と輝かしい伝統を有する本校のさらなる発展のために微力ながら尽力して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、発達心理学者で奈良女子大学名誉教授の浜田寿美男さんは、「本来の学びとは、世界の広がりを享受することの喜びみたいなものなのだろう」と言っています。さらに、学力が成績や学歴、将来の職業に交換されて初めて意味を持つという、いわば「交換価値」で測られている現実は、学校教育の本来あるべき姿ではなく、「使用価値」に目を向け、「学ぶことの実質的な意味を確保し、学んだ力が自分たちの生きるということにつながる」という感覚を取り戻さなければならないとも述べています。
「使用価値」という言葉からは、実用性を連想しがちですが、実はそうではなく、「学んだことを学んだこととして、自分たちの暮らしの中で、生活の中で活かされて意味を持つ」ことになります。これは、社会に出て一度も使うことがないのに、何のために微分積分を学ぶのかとか、古典の力を身に付けても、古語で会話をすることなんてないのに、といった疑問に対する答えでもあります。つまり、微分積分を学ぶことで広がる数学の世界や古典を読む術を身に付けることで味わうことができる古の世界を知り、未知が既知になる楽しさを実感できたなら、それは学んだことが自分の暮らしに活きているということになるわけです。
こうした楽しさは、ただし、何もしないで得られるものではなく、時には苦しみを伴うものです。理解しようといくら頑張っても、さっぱりわからない。能力のなさが身に染みて、心底自分にがっかりしてしまうこともあります。だからといって、そこで立ち止まったり、諦めたりしてしまえば、先に進むことはありません。苦しい先にある楽しさを堪能することはできないのです。「一番は、苦しさもあるけれど、それを超えた先で楽しさに出会える、苦楽しいこと」です(作家、遠藤周作さんの言葉です。)。
浜松北高には本物の学びがあります。同じ高い志をもつ仲間が多く集まり、日々切磋琢磨しながら、そして互いに支え合いながら、学業、学校行事、そして部活動に真剣に取り組んでいます。このことが何よりもまず浜松北高のすばらしさであり、伝統なのだと思います。同窓会の皆様におかれましては、引き続き、本校を御支援いただくとともに、現役生の活躍を応援していただきますようお願いいたします。

令和5年7月

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